[ Farewell ]

[ サクラ大戦 ] 太正櫻に浪漫の嵐。
翠霞・水鏡・地図

「あれ? マリア。調べものかい?」
 休日にマリアが書庫にいるのはさして珍しい事ではない。ただ、彼女が備え付けの机の上に大きな世界地図を広げ、紙片を片手に文献をあさっているのを見て大神は尋ねた。
「ええ。昔、貰ったものが出てきたので...」
 そう言って彼女は手にしていた――古びた地図を哀しげに見つめた。
「少し話を聞いていただけますか?」
 大神はマリアの隣に座り、無言で促した。
「あれは、私がまだ露西亜で革命に参加していた時の事です......」
 マリアはそっと昔語りをする詩人のように話し出した―――

 1913年、露西亜。双頭の鷲を紋章に掲げるこの国の支配者は、兵役と過度の重税に疲れ果てた国民を無視して戦争に明け暮れ、自らは贅の限りを尽くし享楽に溺れていた......

 首都のはるか東、シベリア奥地にあるシュシェンスコエ村の外れに一人の男が姿を現した。
 厚手のコートに身を包み大きめのサングラスで顔を覆った彼は、しばらくして目当ての場所にたどり着いた。その前で立ち止まると、右肩に掛けていた大型の ライフルを下ろす。そして墓に降り積もっていた雪を丁寧に落として短い祈りを捧げた。サングラス越しに十字架に刻まれた名前を見つめる彼の瞳には、深い後 悔と静かな怒りが混在していた。
「ユーリー」
 一礼してその場を後にしようとした時、背後から彼を呼ぶ声が聞こえた。
「アレクか。何かあったのか?」
 信頼する副官に短く尋ねる。
「ええ、まあ。...恩人には会えなかったようですね」
 アレクはユーリーの隣までやってくると十字架に向かって静かに一礼した。
「ああ。去年、肺炎で亡くなったそうだ。奥方もつい先日にな...」
 ユーリーは村で聞いた話を淡々とアレクに話した。
「そうでしたか」
「...それで何かあったのか?」
 ユーリーは質問を繰り返す。
「食料の調達の件ですが難しそうです。森にも数人行かせていますが...手持ちの食料を食いつぶす事になりそうです」
 アレクは軽く肩を落としてため息を零した。
「近隣の村で買うことは?」
「不可能でしょう。この辺りはただでさえ不毛な土地です。村人から奪うくらいなら、役人たちを襲撃した方が実入りが良いと思いますよ」
 そう答えた彼の目には皮肉っぽい色が浮かんでいる。
「そうか」
「...それと入隊希望者が何人か。面接でもしてください」
「わかった」
 ユーリーはライフルを肩に掛け直すと、アレクを伴って宿営地に向かって歩き出した。

 入隊希望者の面接をしていたユーリーは、最後にテントに入ってきた人物を見て微かに驚きの表情を浮かべた。一緒のテントで地図を睨み込んでいたアレクも同じような表情を見せている。
 少女――そう、やってきたのがまだ十歳にも満たない女の子だったからだ。
「...名前は?」
 それでもユーリーは尋ねた。
「マリア。マリア・タチバナ」
 名前を聞いたユーリーの肩が揺れたのをアレクは見逃さなかった。が、彼が口にした言葉は全く関係のないことだった。
「そうか。マリア、ちょっとここに来てもらえるかな?」
 アレクは彼女を地図が見える位置へと手招きした。
「はい...?」
 目の前の地図がこの周辺のものである事にマリアは気付いた。
「我々はもうすぐここを襲撃する。君ならどうする?」
 アレクが指差したのは、流刑地の監視をしている兵士たちの詰め所だ。物資の調達。それをこの国で非合法にするには、リスクは大きいがこれが一番手っ取り早い。
「内部から崩す」
 マリアはしばらく考えて、ぽつりと答えた。
「どうやって?」
 反問するアレクの声には楽しそうな響きが混じった。
「......この詰め所には一日一度物資の搬入があるから、その時に味方を入れたらいい」
「どうしてそれを知っている?」
「民間人も使うから、私も一度入ったことがある。...わずかだけど食料を分けてもらえるから」
 マリアの答えに彼は頷いて、ユーリーの方を向いた。決定権は隊長にある。
「...我々革命軍へようこそ、同志マリア。自分はユーリー・ミハイル=ニコラーエビッチ。この隊の長をやっている」
「私は副長のアレクサンドル。アレクと呼んでほしい」
 二人は新しい小さな同志に手を差し出した。
「それと暖かくしていなさい。随分と体が冷えている」
 アレクは自分の首に巻いていたマフラーを外して、彼女の首へと掛けた。
「ありがとう」
「では、他の者にも紹介しよう。こっちだ」

「こんな子供を入れて何の役に立つというんだ?」
 他の隊員たちに紹介した時、当然のように何人からかそういう声が上がりマリアへと冷たい視線が突き刺さった。
 革命軍を名乗っていても、その実情はかなり苦しい。役に立たない人間を食わせている余裕などどこにも無かった。
「役に立つか、立たないかは自分が判断する。事実、自分が選んだ者で役に立たなかった者がいたか?」
 そんな冷たい視線からマリアを守りながら、ユーリーは淡々と言い返した。
「それは......」
 確かに隊長の連れてきた者や選んだ者たちは、特異ともいえる能力を発揮していた。副官のアレクも彼の連れてきた人間である。
「アレクはどうした?」
 そう尋ねてきたのは最長老のケネスだった。彼は闘士として医師として隊の中で確固たる地位を築いている。その発言権も大きい。彼はマリアの首にアレクのマフラーが巻かれているのに気付いていた。
「彼も賛成している」
「そうか...。あやつも認めておるのか。ならば反対する理由は無いな」
 彼のこの一言で文句を言っていた者たちも引き下がった。
「しかし、この子をどうするつもりなんじゃ? 銃を持たせて戦わせるのか?」
 ケネスは自分より頭二つ分くらい高い位置にあるユーリーの目を覗き込む。
「...死ぬよりマシだ」
 彼の答えには一瞬の間があった。
「......本当にそうかの?」
「.........」
 黙ってしまったユーリーとケネスの間で、マリアは困ったように二人の顔を見比べていた。
「...ん? どうした?」
 アレクが入ってきた事でテントの中の空気が緩んだ。
「いや、なんでもない」
 首を傾げる彼にユーリーは軽く首を振った。
「それより猟に行った者たちが帰ってきたのだろう? どうだ?」
「収穫は魚が何匹かとウサギ一匹。全然足りない」
「そうか。...アレク、マリアに何か武器を頼む」
「...わかった。おいで、マリア」
 アレクの後についてマリアはテントを出た。
「武器といっても、最近出回っているものは質が良くない。大体が列強国では三級品のものだ。まあ、それでもあるだけマシなんだけどね」
 彼はそう説明しながら、マリアを武器を保管するテントに案内してくれた。彼女には彼の言っている事が半分くらいしか分からなかったのだが。
「その限られた品の中で君にも扱えるのは......この辺かな」
 木箱の中を探していたアレクが一丁の銃を取り出した。
「イギリスの王立エンフィールド造兵廠で作られたエンフィールドno.1MkIスター。中折れ式の銃としては扱いづらくて、ここまで流れてきたんだ。改良の仕方を教えてあげるから、自分に使い易いようにするといい」
「ありがとう」
「ユーリーのところに先に戻っていてくれるかな? 私は他にも見なくてはいけないから」
「わかった。アレクも後でくる?」
「ああ。もちろん」
 マリアを見送ったアレクは今日何度目になるか分からないため息を零した。
 この国の未来と、ユーリーの心中を考えて。

 数日後、山と積まれた戦利品を前にユーリーとアレクは軽く手を打ち合わせた。
 これ以降マリアに対する評価が正当なものになったことは言うまでもない。

「隊長。只今戻りました」
「...マリアか。ご苦労だった」
 マリアが隊に入ってそろそろ一年が経つ。彼女はユーリーやアレク達から教わったことを着実に身に着け、見張りに偵察、そして狩りと様々な仕事をこなせるようになっていた。
「アレクはどうした?」
「今、弾薬を取りに。先にここへ行くように言われましたので...」
「そうか。では報告を頼む」
 ユーリーに促されてマリアは狩りの成果、近隣の村々の様子などを簡潔に報告していく。
「あと、近くに白軍の部隊が接近しているという情報が入っています。...我々が目標のようです」
「わかった。ありがとう、少し休むといい」
「はい」
 報告が終わりマリアがテントの隅で毛布に包まる頃、アレクがテントへと入ってきた。
「...本格的に『狩り』が始まったようですよ」
「今、マリアから聞いたところだ。どのくらいの規模か、ここからわかるか?」
「...そうですね。五百くらい...千まではいっていません」
 この副官は遠くからでも敵の気配を感じ、大体の数を言い当てる事が出来た。この特異能力のお陰でこの隊は何度も危機を脱してきたのだ。
「そうか......」
「斥候を出して更に詳しく調べると共に、この付近の地形を調べてくるように言っておきましょう」
「頼む」
「...そういうと思って、先程手配してきました」
「助かる。お前も少し休むといい」
「了解。マリア、湯たんぽ代わりになってよ」
 火の近くで毛布に包まっていたマリアを抱き上げ、自分のコートと毛布で包み込む。
「やっぱり子供は体温が高くて暖かいなぁ...」
「アレク!」
 マリアの抗議の声も無視して、アレクは既に寝息を立て始めていた。
「隊長...」
「...諦めろ、マリア」
 困ったようにユーリーを見上げるマリアに、彼はため息を零し、微かな笑みを口元に浮かべて答えた。
「...マリア」
「はい」
 しかたなくアレクの腕の中で大人しくしていたマリアは、ユーリーの声に短く答えた。
「アレクは優しい。特に子供には」
「......はい」
 確かに今マリアを抱き抱えて間抜けな寝顔をしている青年はとても優しい人だった。それでも一度戦いとなると、彼はまるで氷のように冷たく炎のように熱い戦い方で敵を圧倒する。
 ユーリーが安心して部隊を任せられる人間は今のところ彼とケネスくらいしかいない。
 その彼が一度だけマリアに昔の事を話したことがある。お守りにしているのだと、首から下げた小さな袋から折りたたまれた古い地図を取り出した彼は、苦笑いを浮かべていた。
「...前にアレクから聞いた事があります。彼は月のようになりたいのだと」
 マリアの言葉にユーリーは珍しく微笑を見せた。
「そこまで話していたのか」
「...?」
「他の者は知らない話だ。こいつは歴史家になりたかったんだ」
 ユーリーはサングラスを外して、眠っているアレクを寂しそうに見つめた。
「だから、地上の全てを水鏡のように映す月のようになりたかったのだと...」
 過去形で話すユーリーと過去形で話していたアレク。
「昔の話ですよ」
 その声にマリアが振り向くと、うっすらと目を開いたアレクが苦笑していた。
「なんだ、起きていたのか? 趣味が悪いな」
「頭の上でこんな会話をされて、のほほんと眠っていられるほど神経が太くないので」
 アレクはマリアを抱き抱えたまま、身体を起こした。
「それより、白軍を迎え撃つ算段は立ちそうですか?」
「まあな。...相手が倍近いのはいつもの事だ。諦めてはいられんだろう。斥候が帰ってきたら詳しく作戦を考えよう」
「...帰ってきましたよ。呼んできましょう」
 アレクは漸くマリアを腕から解放すると、立ち上がってテントを出て行った。マリアは急に寒さを感じて毛布を引き寄せる。
「アレクは親鳥のようだな」
 そんなマリアを見てユーリーは苦笑を零した。

 その夜遅くまでユーリーを中心とした作戦会議が開かれた。
 基本方針は近場の針葉樹の森に引き込んで、分断して確固撃破。最初に奇襲を成功させる事ができるかがそれ以降の戦闘の流れを決めるだろう。奇襲の指揮は副官のアレクが採ることに決まった。マリアも奇襲部隊に配属された。
「斥候を常に出しておけ。動きを逐一連絡させるんだ」
 ユーリーの指示が伝えられると、部隊全体に緊張が走る。
「今のうちに身体を休めておけ。戦闘になったらしばらくは休めないからな」
 この言葉で各々の準備を始めるため解散となった。

「...状況はどうだ?」
 朝、少し遅れて天幕に入ってきたユーリーはアレクに尋ねた。
「予定通りの進路を通ってますね。この分なら明日の深夜には森の入り口に差し掛かります。彼らはそこで夜営を組むでしょうね」
「奇襲を夜襲に変えろといいたいのか?」
 アレクの報告にユーリーは、地図に落としていた視線を彼に向けた。
「......隊長はあなたですよ、ユーリー」
 アレクは提案はしても決して決定しようとはしない。自分にその権限がないのを彼は知っていたし、人の命を左右するだけの勇気が自分にないこともわかっていた。
「...やってくれるか?」
「ご命令とあれば」
「では頼む」
 ユーリーの言葉でアレクは一小隊を率いて野営地を出て行った。これがアレクとの最後の作戦になろうとは誰も思ってはいなかった......

 夜襲をかけたアレクの別働隊は十二分に役目を果たした。ユーリーが率いる本隊が到着する頃には白軍は大混乱に陥っていた。
「よし、本隊と合流して白軍を蹴散らせ! 殿は私が務める!」
 アレクの号令に別働隊は本隊と合流して本格的な攻撃を仕掛け始める。散発的に行われている白軍からの銃撃に気をつけながらマリアもアレクの側で殿を務めていた。
「マリア、君も行け! 君の攻撃力は本隊にこそ必要なものだ」
 了解の言葉を返そうとした時だった。
ガゥン!
「アレク!」
 マリアは彼の元に駆け寄った。アレクの左胸に黒ずんだ染みが広がっていく。
 彼自身も信じられないという顔で自分のコートを見つめていたが、やがて彼は仕方がないと言わんばかりの微苦笑を浮かべた。針葉樹の根元に座り込み、泣き出しそうなマリアを見上げる。
「マリア、これを......」
 彼は胸元から小さな革袋を取り出して、彼女に手渡す。
「いつか...平和になったら......調べて...みて、ほしい...」
 呼吸が荒くなって言葉が途切れる。
「君が、大人に...なるまでに、この世界が、平和に......」
 目の前が暗くなっていく。マリアがすぐ側にいるはずなのに、その顔すら見えない。自分の名を呼ぶマリアの声が段々聞こえなくなって.........彼の意識は闇に呑みこまれた。
「アレク!」
 マリアの叫びが針葉樹の林の中に響いた―――

 ユーリーはアレクの死を知っても何事も無かったかのように戦闘を続けた。白軍が撤退した後、マリアに案内されてアレクの遺体の前に立った彼は、何も言わずに長い間動かなかった。
 マリアは知っている。その日、隊長のテントから押し殺すように聞こえてきた声を。
 ユーリーは副官であり親友であったアレクの死について一切触れなかった。マリアにさえ、一言も話そうとはしなかった。

「その時受け取ったのが、この地図という訳だね」
 大神は机に置かれた破れかけの地図を指した。
「革命が終わった後に私は紐育に渡ったのですが、その時はそんな気分ではなくて...。日本に来てからも色々と忙しかったものですから」
 漸く時間が穏やかに流れるようになり、それを見計らったかのように、机の奥に収めていた革袋が彼女の目に留まったのだ。
「アレクはこの地図を中国の奥地、翠霞のかかる谷で仙人のような人から食料と交換にもらったのだと話していました。もしかしたら宝の地図かも。そう笑って」
 マリアもその時の事を思い出して、口元に笑みが浮かぶ。
「...やっぱり」
「え?」
「やっぱり、悪い思い出だけじゃなかった」
 大神は笑っているマリアにとても嬉しそうに言った。露西亜の話をする彼女は、いつも決まって辛そうな顔をするから。昔のことを思い出して、笑顔を見せてくれた。それが大神には嬉しかった。
「よし。俺も手伝うよ。やっと平和になったんだ。彼の望み通り調べてみよう」
「はい」
 その日からしばらく、大神とマリアは書庫に篭って地図と睨めっこをする事になる。
 古地図がどこを指し示していたのか...それは大神とマリアだけの秘密である―――