夏休みの小旅行。その2。
「列車に合わせてバスが動いてるから、もう来てるはずだ」
駅と港を繋いでいるバスの停留所には、すでに一台のバスが待っていた。
「かわいー」
「とても古風だな」
二十人も乗れば満員になってしまうその半分を占領すると、バスはゆっくりと走り出した。
約十五分で町並みを抜け、港へ着いた。迎えの船が来ているはずである。
「諒ぼっちゃん!」
港の入り口で手を振っている青年を見、諒はがっくりと肩を落とした。
「りょう、ぼっちゃんだぁ?」
マークだけではない、他のみんなの驚いていた。まさかこの呼び方をされるのが南条だけではないとは。
「そのぼっちゃんは止めてくれと前から言ってるだろ、孝嗣さん」
「しかし、真田家の人を呼び捨てにする訳にはいきません」
そう言って彼は頑として拒んだ。これがあるから諒は一人で帰るつもりだったのだ。
「さ、どうぞこちらです。皆さんがいらっしゃるのを、大旦那様も大奥様もお待ちです」
孝嗣は人当たりの良い笑顔で船へと案内する。前方のクルーザーがそうらしい。
「諒ぼっちゃん?」
諒はマークを一睨みすると、簡単に説明する。
「元々、真田の家はこの辺りに勢力を持っていた水軍、つまり海賊の頭領で、今はこの辺りの土地を持つ大地主なんだ。その上、ここに住んでる人達も元家来の子孫。お陰で俺まで「ぼっちゃん」扱いなんだ」
一同、なるほどと納得した。
「うわぁ...おっきな家...」
前が船着き場になっているその家は純和風で趣が感じられる。
「おお! 諒、よぉきたのぉ」
「みなさんも、遠いとこようきなさったなぁ」
船のエンジン音を聞いて現れた老夫婦が諒の祖父母だった。
「じいちゃん、ばあちゃん。元気そうだね」
「大勢で押しかけて申し訳ありません。しばらくの間、どうぞよろしくお願いします」
南条がそう言って頭を下げると、他のみんなも同じように頭を下げた。
「いやいや、久しぶりに我が家もにぎよぉなるわ。何もないが、くつろいでいきんさい」
十畳の部屋が二間用意されていた。取り敢えず荷物を置いてくつろいでいると、隣から声が掛かった。
「ねぇ、泳ぎにいかない?」
「この辺で泳げんの?」
麻希の提案にマークは諒に聞いてみる。
「少し歩けば浜があるけど」
「よっしゃ。んじゃ、行きますか」
「気持ちいいー!」
五十メートルほど続く砂浜に着くと、早速海へ飛び込んでいく。
「いいとこだな」
「他の観光客もいないしね」
南条の感想に諒は持ってきた釣り竿で肩を軽く叩く。彼は疲れていたので、今日は泳ぐつもりは無かった。
「ねぇねぇ、諒君。どう?」
「どう? 似合ってるかな?」
女性陣が漸くやってきた。
「良く似合ってるっすよー。ねぇ、諒ちゃん?」
「ああ、そうだな」
諒は覆いかぶさってきたブラウンを押しのけながら頷いた。全くもって目のやり場に困るほどに似合っている。肌の白さが目に痛い。
「Ryoは泳がないの?」
「ちょっと疲れたから」
エリーは諒が持っている釣り竿に気付いて訊ねた。
「あまり沖には行かないようにな! 沖は潮の流れが早いから」
早速泳ぎ始めた友人達に大声で伝えると、諒は岩場へ登って釣り糸を垂れる。
彼が何匹か釣り上げた頃、崖の上で何か音がしたのに気付いた。眩しさに目を細めながら見上げると、確かに人影が動いた。
だが、あんなところに誰がいるのだろう。この上には何も無いはずだ。
「誰だ!」
彼が誰何の声を上げると、その人影は慌てたように逃げ出した。
「Ryo?」
「ん?」
横合いから掛けられた声に視線を移した瞬間、人影は完全に見えなくなってしまっていた。
「何かあったの?」
険しい顔をしている彼にエリーも崖を見上げるが、既に何も見えない。
「いや...多分気のせいだと思う」
諒は頭を振って、エリーを見た。
「どうした? 何かあった?」
「ううん。Ryoがどうしてるかと思って」
「何匹か釣り上げたけど、...本当は空を見上げていたいだけだから」
諒は軽く伸びをして、空を見上げる。
「Ryoは空が好きなのね」
「ああ。ずっと見てても飽きないね」
笑顔の諒にエリーも微笑んだ。
「ただいま?」
家に戻った諒は祖父母の所に顔を出した。
「あ...お客さんだったの」
諒は机を挟んで向かい合っている男に目を走らせた。この暑いのにスーツを着込んでいる男は無表情で諒を品定めするような視線を向けてきた。
その態度にムッとしながらも顔には出さず、諒は一応頭を下げておいた。
「気にせんでええが。みなさんも一緒か?」
「うん。今帰ったとこ。上に入ってきていい?」
「いっといで。潮をよう落とすんよ?」
「うん。わかってる」
諒は頷いて友人達の所へ戻った。
「まさか、温泉まであるなんてね......」
ゆきのは岩で造られた湯船に肩までつかりながら、半ば呆れている。
「でも、気持ちいい?」
家の裏手に造られた温泉は森に囲まれていて雰囲気が一転していた。
「海の後に温泉なんてゼイタク?」
綾瀬も気持ちよさそうにしている。
一方、男湯では。
「............」
諒は先程の人影と男を思い出し、湯船の中で考え込んでいた。
「どうした? 真田」
「ん? ああ。ちょっと...考え事」
南条は不審に眉をしかめたが、それ以上は聞いてこなかった。
「女性に関する悩み事なら、このブラウン様にお任せよぉん?」
「またお前は......」
風呂場で格好を付けるブラウンに、マークは額に手をやってあきれた。
「全く、お前らは風呂くらい大人しく入らんか」
そんな会話を聞きながら諒は身体を伸ばし、木々の間から見える空を見上げて再び考えに浸った。
「おかえりなさい」
さっぱりした彼らを迎えてくれたのは、一人の美人だった。歳は二十代後半といった所か。
「皐月さん......」
諒はその人を見て驚いた様子を見せた。
「いつ、こっちへ?」
「二日前。諒君が帰ってくるって聞いたから。本当に久しぶり、大きくなったわね」
頭一つ高い彼の頭を軽く撫でると、皐月は優しく微笑んだ。
「あの?、おとり込み中悪いんすけど...」
「アヤセ、お腹すいた?」
ブラウンとアヤセはお腹の辺りを押さえ、空腹を訴えた。
「ふふ、もう用意は出来てるから。どうぞ」
皐月は笑顔を見せると、食事の整えられている和室に案内していった。取り残された諒はため息をついて肩を竦めた。
「んまい!」
海の幸が山と盛られた食事は、素朴でその素材の味を引き出している。
「本当、おいしい!」
「そりゃあ、えかった。今の若い人にゃぁ合わんか思うとったけぇのぉ」
舌鼓を打つ一行に祖父母も笑顔を浮かべている。
次の日の朝、諒は早くに起き出すと外へ出た。外は濃い霧に包まれていてちょっと先も見えない。
「Ryo?」
縁側に現れた彼女を見て諒は笑顔を見せた。
「おはよう。早いね」
「Ryoも。...凄い霧ね」
「うん。この時期は朝方霧がよく出るんだ。すこし散歩に行く?」
「あの...昨日の人は......?」
海岸まで歩いて身体を動かしているとエリーが尋ねてきた。
「皐月さんの事? ...強いて言えば、俺の初恋の人かな」
諒は照れくさそうに言った。
「昔、ここに来た時に世話をしてくれた人だ。あの人が大学に行ってからは全然連絡も取ってなかったけど」
「そうなの...」
「どうした?」
エリーの前に来て、諒は彼女の顔を不安そうに覗き込む。
「哀しそうな顔をしている。俺が何かしたなら、謝るから。笑っていてほしい」
エリーが皐月に嫉妬しているなどとは全く考えない人である。それが可笑しくてエリーは笑ってしまった。
すると、諒も嬉しそうに笑顔を見せる。
「よかった。笑ってくれた」
「大好きよ、Ryo」
「俺もエリーが大好きだよ」
二人は笑顔のままで手をつないで家へと戻っていった。
霧も朝日に散らされ消えていった......