大神がマリアに水泳を教える話
「泳ぎ方を教えていただけませんか?」
そうマリアが言ってきたのは、熱海から帰ってしばらくしてからの事だった。
「この前のような事が二度とないとは言えません。隊長を煩わせて申し訳ないとは思うのですが、他にこの事を知っている人はいませんし、今更泳げないとカンナに言えば大笑いされるでしょうし...」
俯き顔を真っ赤にして言葉を並べるマリアが可愛いくて、もっと聞いていたいなどと思ってしまう自分は末期症状かもしれない。そんな考えに苦笑しながら、彼女の言葉を片手を上げて遮る。
「勿論かまわないよ。...夜の見回りが終わった後でもいいのならね」
「は、はい。お願いします」
こうして、大神はマリアに水泳を教える事になったのだ。
深夜の練習になるに至った理由を思い出し、大神は笑いを零す。彼は水に浮かびながら、マリアが着替えて現れるのを待っていた。
「...隊長?」
「マリア? 遅かったね」
そう言って振り返った大神は力が抜けていくのを感じ、慌ててビート板を掴み直した。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。それにしても......」
大神は水の中から水着姿の彼女を見上げた。
「...似合いませんか?」
マリアは持っていたバスタオルで身体を隠して俯いてしまう。
「とんでもない! よく似合っているよ」
黒のワンピースの水着は白い肌に映えてとてもいい。これが似合わないと言うやつには、狼虎滅却を容赦なく叩き込もう。
「あ、ありがとうございます」
軽く準備運動を済ませたマリアを水の中に入るように促した。が、
「ん? どうしたの?」
マリアはプールの縁に座って足を浸けるだけで入ろうとはしない。
「......怖いんです」
わからない事ではなかった。一度溺れかけたのだ。その時の記憶が、水への恐怖感をいっそう強めているに違いない。
「おいで」
大神はマリアの前に立って腕を差し出した。
「側にいてあげるから」
「大神さん......」
マリアが肩に手を置いたのを確認してから、彼女の腰に腕を回して抱き上げた。
「いい?」
顔を見上げて彼女が頷くのを見てから、少しずつ腕の力を緩めていく。
徐々に水圧がかかり水面が顔に近づくのが怖くて、マリアは顔を歪める。大神は彼女を宥めるように背中を軽く叩きながら、ゆっくりゆっくりマリアを水に慣らしていく。
「大丈夫?」
時間を掛けて水に全身が入ったので、マリアも落ち着いてきた。
「はい」
「じゃあ、とりあえず端から端まで歩こうか」
「はい」
大神の腕にしがみついたままだが、マリアは自分の足で歩き出した。
やがて、何度も往復するうちに、腕も離れて手を繋いでいるだけになる。マリアの恐怖心が薄れてきたことを喜びながらも、それを少し寂しく感じてしまう大神だった。
「はい。今日はここまで」
一時間経ったところで大神はそう言った。
「え? もうですか?」
漸く水が楽しくなってきたらしいマリアは、手を繋いでいる大神の顔を見つめて首を傾げた。その表情はまるで子供がもう少し遊ぼうと言っているようで、大神は思わず笑ってしまった。
「...あれだけ怖がっていた人の顔とは思えないなぁ」
「大神さん!」
「ごめんごめん」
顔を真っ赤にして怒るマリアだが、大神には可愛くて仕方がない。言葉では謝りながらもどうしても口元が緩んでしまう。
「でもね、もう消灯時間だからね。それにこうして水の中を歩くだけでも結構体力を使うんだよ。明日も稽古があるんだろう?」
大神は聞き分けのない子供に言い聞かせるようにマリアの顔を覗き込んだ。
「...はい」
「よし」
マリアの返事に微笑んだ大神は、彼女を先に上がらせて自分は簡単に片付けを済ませる。
「隊長?」
「ああ。俺も今上がるよ」
そう答えて、廊下で待っている彼女の為に大神も手早く着替えた。
「今日はどうもありがとうございました」
部屋の前まで送ってもらったマリアは大神に軽く頭を下げた。
「気にしなくてもいいよ。それに、マリアの水着姿を独り占め出来るのは嬉しいしね」
「!」
「それじゃあ、おやすみ」
大神は軽く手を振って扉を閉めると、自分の部屋に戻っていった。
「ずるいです...」
一方、大神に不意打ちされたマリアは、ベッドに潜り込んで真っ赤になった頬を両手で押さえていた。
まだ秘密の練習は続くのに。明日は顔をつけられるようにしないと。
そんな事をぐるぐると考えていたマリアだったが、大神の言った通り、水中を歩くというのは意外に体力を使うようだ。目を閉じるとすぐに睡魔がおそってきた。
「おやすみなさい、大神さん......」
さっき返す事が出来なかった言葉を呟き、マリアは眠りについた。
明日はもう一着の白いワンピースを着てみようと思いながら......