[ いつも そして いつまでも ]

『火魅子伝』
九峪×清瑞。最終戦前。

 九峪が天魔鏡の精「キョウ」に、耶麻台国へ連れて来られて数カ月。彼の率いる軍勢は既に九洲の大半を狗根国から取り戻していた。
「あと少しだな」
 九峪は自分の部屋に掛けられた地図を見上げた。九洲全土が描かれたそれには、最終目標である耶麻台国の首都だった耶牟原城も記されている。
「九峪」
「清瑞、何かあったのか?」
「そろそろ会議が始まる。総大将のお前にこんな所でのんびりされては困るのだがな」
 清瑞はそう言いながら部屋へ入ってくる。
「悪い。もうそんな時間だったか。気がつかなかった」
「...まったく、世話のやける奴だな......。もう少しだな」
「ん? ああ、そうだな。あと少しだ。...さて、行くとしますか」
 九峪はもう一度だけ地図を見上げると、部屋を出る。
「佐瀬帆城の部隊は?」
「魔人が三部隊、そのうちの二つは方術使いだな。それと狗根国軍が四部隊ほど展開している。大将の今戸は方術に耐性を持たせる術が使えると聞いた」
「...あとの問題は地形か」
 彼の立てる作戦に兵士の命がかかっているのだ。内政の間に向かう廊下を歩きながら考え込む九峪に清瑞は黙ってついていく。
「九峪、右だ」
「...ん」
 考え込んでしまっている九峪の進行方向を直すのも彼女の役目になっていた。仕方無くやっている清瑞曰く、「こんなつまらん事で総大将の九峪に怪我でもされたら、士気に係わる」からだそうだ。
「よし、決めた」
 九峪が地図から顔を上げたのは、内政の間の扉前だった。

「佐瀬帆城攻略は、俺と藤那の軍でやる。俺の軍は、清瑞、天目以外に魅土、織部。藤那の軍には閑谷以外に土岐、兎華乃、忌瀬を編成する。兵の準備が出来次第、出陣。以上だ!」
 九峪の号令で城内が慌ただしく動き出す。
「では、九峪様。私達は各自、持ち場へ戻りますので」
「留守は任せたよ」
 今回、戦闘に参加しない軍団長達が九峪に挨拶をして下がっていく。
「さて、俺も一旦部屋に戻るか」
 こういう時、九峪がする事はあまり無い。自室へ戻って、再び地図を見上げる。
「おい、九峪」
「清瑞? まだ何かあったけ?」
「暇そうだな。兵達が準備を終える明日の朝まで時間がある。仕方ない。お前の暇潰しに付き合ってやろう」
「え? あ、おい...」
 抗議も空しく、九峪は楼閣まで引きずっていかれる。
「まったく、あんな暗いところに一日いるなど、不健康過ぎるぞ。今日はここで陽に当たっていろ。ここは涼しい風も吹くしな」
「...ああ、ありがと」
 口は悪いが、彼を気遣ってくれている清瑞に素直に感謝する。この様子では最近の寝不足も知られているだろう。ここしばらく、暑い日が続いて寝苦しかったから。
「少し寝ろ。明日からの戦に寝不足で行かれたのでは、こちらが困る」
「ああ...。清瑞がいてくれるなら、安心だな」
 九峪は柱の陰に寄り掛かると、すぐに眠ってしまった。
「本当に世話のやける......」
 そう言う清瑞の口元には微かな笑みが浮かんでいた。

「おい、そろそろ起きろ。夜に眠れなくなるぞ」
「ん...、あ? ああ」
 九峪は軽く伸びをして目を擦る。
「どのくらい寝てた?」
「三時間くらいだな」
 清瑞は辺りを見回し、時を計る。
「そうか。じゃ、昼飯でも食いに行きますか」
 九峪は清瑞を連れて街へ向かう。戦争中なのに活気の溢れている街を楽しそうに見回す。
「さて、何を食おうかな?」
 そんな九峪の隣で清瑞は黙ったままだ。
(相変わらず、こういう場所が苦手そうだな)
 清瑞の少ない表情から九峪はそう感じた。忍者という職業柄からなのか、彼女は人の多い場所があまり好きではなかった。
「よし! 決めた」
 一度決めたら、九峪の行動は速かった。屋台で幾つかの食べ物や飲み物を買い込み、街から再び離れる。
「おい! 九峪、どこへいく」
「いいから、いいから」
 街からすぐの森の中へ少し入った場所で、敷物代わりに上着を脱いで座り込む。仕方無く、清瑞も彼の側に座った。
「はい」
 九峪はその清瑞に屋台で買った物を手渡す。
「ここなら人もいないし、落ち着いて食べられるだろ?」
「...ふん、お前がいたのではな」
 感謝はしていても、なかなか素直になれない清瑞だった。
「はいはい。それはすみませんね」
 九峪は微苦笑を見せたが、
「ま、冷めないうちに食っちまおうぜ」
 気を取り直して鳥の足にかぶりついた。清瑞も受け取った魚の塩焼きを口へ運ぶ。

「ふぁ?、食った、食った」
 十数分後、九峪は満足の表情を満面に浮かべていた。
「では、帰るか」
 一方、清瑞の方はもの凄く素気ない。
「え?、もう少しのんびりしてこうぜ?」
「帰るぞ」
「ちぇ?」
 しぶしぶ九峪も立ち上がり、服に付いた小枝をはたいて落とす。
「おい、九峪」
「ん?」
 辺りを見回していた清瑞が緊迫した声を出す。
「人の気配がする」
「俺達の他にも誰が来たんじゃないのか?」
「こんな殺気を剥き出しでか?」
 清瑞は冗談を言ってる場合かと九峪を睨み付けた。
「...ごもっともです」
 九峪も油断なく構えを取った。
「あの?、すみません」
 しかし、彼らの前に現れたのはどう見ても猟師にしか見えなかった。
「やっぱり、清瑞の気のせいだよ」
 九峪は構えを解いて、彼に無造作に近寄る。
「ば! 馬鹿!」
 清瑞の伸ばした手は届かなかった。猟師は表情を一変させ、九峪へと切りかかってくる。
「げ!」
 何とか間一髪で躱したつもりだったが、九峪の腕に刃が触れたらしい。肩に近い場所から、どろりとした物が流れ出していた。
「九峪!」
「清瑞! そいつを逃がすな!」
 猟師に化けていた狗根国の刺客は失敗を悟り、背を向けて逃げ出した。
「は!」
 清瑞は容赦無く、その背中へと手裏剣を投げつける。急所に刺さったそれは呆気なく男の命を奪っていた。
「九峪!」
「痛てて...」
 彼の左腕は指先まで真っ赤になっていた。清瑞はすぐに止血をすると、応急手当てを施す。
「この、愚か者が...。油断するからこんな事になるんだ」
「.........」
 さすがに九峪もバツが悪そうにしている。
「早く帰ってちゃんと看てもらわなくては」
「その事なんだけど...、清瑞」
「なんだ?」
「黙っててくんない?」
 清瑞は一瞬、彼が何を言ってるか戸惑ったが、それを理解した途端。
「何を言ってる! お前は耶麻台国の総大将で、明日には戦に出るんだぞ?」
「うん、そう。だから、頼んでる。清瑞なら解るだろ?」
 九峪は彼女に頼み込む。
「う...」
 確かに九峪に怪我を負わされた事が広まれば士気が下がるかもしれない。清瑞もそれを思っているからこそ、護衛に力を入れているのだ。まぁ、最近は本当の理由は変わってきていたが。
「...しかし、応急手当てだけでは戦に支障が出るぞ」
「その事について、清瑞にもう一つ頼みがあるんだけど」
 九峪はにこやかな笑顔を彼女へと向けた。

「何故、私がこんな泥棒の真似事などを......」
 清瑞はぼやきながらも、見張りの兵士に気付かれる事なく城からある物をを持ち出した。
「お帰り。さすが清瑞、早かったな」
 九峪はものの数分と経たずに戻ってきた彼女に手を振った。
「...二度とこんな真似はせんからな」
「ああ、悪かったな。俺のせいでこんな事させちまって」
 清瑞の差し出した『流水の小瓶』を開けて傷口へ流し掛ける。
「ん...」
 少し染みたが、みるみるうちに傷が消えていく。完全に消えたのを見て、九峪は腕を持ち上げ動かしてみる。
「よしよし」
「これに懲りたら、二度と油断するなよ」
「ああ、わかったよ。...でも、ありがとな」
「...何だ、突然」
 彼の言葉に清瑞は首を傾げる。
「腕にカスリ傷で済んだのは、清瑞のお陰だからさ。今まで色々鍛えてくれたからな」
 九峪に笑顔で礼を言われ、清瑞も照れてしまった。
「と、とうぜんのことだからな」
「? 清瑞? もしかして、照れてるのか? ...可愛いな」
 九峪は思わず本音を零していた。
「! こ! この!」
 清瑞は更に顔を赤く染めると、小刀を構えた。
「お、おい。折角、助かったのにそれはないだろ? な?」
 これはまずいと感じた九峪はジリジリと下がって間合いを取る。
「うるさい!」
「謝る! 謝るから、許してくれよ。清瑞」
「問答無用!」
「うわぁ??!」
 静かな森の中に九峪の悲鳴が響き渡っていた.........