[ はぴねす。 ]

[ サクラ大戦 ] 太正櫻に浪漫の嵐。
『平和』が一番。
 サタンを倒して、数日が経つ。ようやく帝都も落ち着きを取り戻し始めていた。花組公演は満員御礼で、彼女たちは舞台に忙しい。米田支配人は相変わらず で、他のみんなもそれぞれに忙しい日々を送っていた。そんな中、華撃団は開店休業状態が続いている。俺達の勝ち取った『平和』の証でもある。ただ、大切な 仲間の命と引き換えに......
「あやめさん...」
 俺は暇になると、今でも彼女の事を思い出してしまう。いつでも自分に厳しく、俺に様々な事を教えてくれた女性で、ずっと憧れていた。
 今日はもぎりの仕事を終えると、事務の手伝いもなく、自室の窓でぼんやりとしていた。そんな時、誰かがやってきた。
「はい?」
 ドアを開けると、そこにはマリアが立っていた。
 マリア・タチバナ。俺が華撃団に配属になる前は、彼女が隊長を務めていたらしい。ある一件で俺を隊長と認めてくれて以来、常に俺を支えてくれている。
「どうかしたのかい?」
「...あの隊長? 今日、これからお時間はおありでしょうか?」
「大丈夫だけど?」
 今日の仕事はすべて終わらせていた。だからこそ、こんな所でぼんやりとあやめさんの事など思い出していたのだが。
「もしよろしければ、買い物に付き合って頂けませんか?」
 これだけの事なのに、頬を染めるマリアを可愛いと思う。
「もちろん、かまわないよ」
「有難うございます。準備が出来たら、また来ますので待っていて下さい」
「ああ、待ってるよ」
 マリアはいつもの格好で待っていた。
「じゃあ、行こうか。さくらくんやアイリスに見つかると、うるさいからね」
「フフ...、はい」
 とりあえず、他の人に見つからないうちに帝国劇場の外に出る。その外観はすっかり元通りで、戦いの傷跡は残っていない。
「隊長?」
 劇場を見上げていた俺をマリアが呼ぶ。
「ん? ごめんごめん。で、今日は何を買いに行くんだい?」
「明日は楽日ですし、何か作ろうと思いまして...」
「マリアの手料理か...」
 マリアは時々、料理を作ってみんなにご馳走する事がある。その料理が俺は大好きだ。
「大したものではないのですけど」
「俺はマリアの手料理というだけで嬉しいよ。これは楽しみだ」
 俺はマリアの手を軽く握ると歩き出した。たぶん、間違いなくマリアの顔が真っ赤になっているだろうと思いながら。

 食料品の前で、マリアは結構真剣にそれらを見ている。舞台では決して見ることの出来ない彼女の素顔が見える瞬間だ。戦闘や舞台での彼女は凛々しく美しい。でも、こういう時の彼女は可愛らしくて、俺は飽きもせずに彼女を見つめていた。
「隊長、今日は助かりました。ありがとうございます」
 マリアは自分の荷物を抱き抱えながら、礼を言ってきた。
「これくらいの事、気にしなくていいよ。何時でも、言ってくれ」
(それに、今は身体を動かしている方がいいし)
 俺はそっと、心の中で付け加えた。
「さ、戻ろうか」
「...はい」
 マリアは何か言いたそうだったが、口にはしなかった。

「今日は暖かいですね」
「そうだね」
 今日は晴れ渡っていて、気温が高めだ。
「こういう日は、ちょっと冷たいものが食べたいね」
 帰り道、俺の視界には、今、流行りだと由里君から聞いた「アイスクリン」の文字が入ってきた。
「マリア、あそこで二つ、買ってきてくれるかな。はい、これお金」
「え?」
 俺はマリアの持っていた荷物を取り上げ、彼女に財布を押し付けた、ちょっと困った顔をしながらも、冷たい氷菓子を買いに行く彼女を見送った。
「確か、この近くに公園があったはずだ。そこでひと休みしよう」
 マリアが戻ってくると、俺はそちらに誘った。運良く、木陰になっているベンチを見つけると、そこへ荷物を降ろして腰掛けた。
「ふう」
「大丈夫ですか?」
「ああ、これでも、一応、軍人だからね」
 心配そうなマリアから、笑ってアイスを一つ受け取る。マリアも笑って隣に腰掛けた。
「甘くて、冷たいですね」
「ああ、おいしいな」
 喜んでくれてよかった。マリアの横顔を見ながら、俺はそう思う。彼女が時々見せてくれる笑顔は、俺の心を暖かくしてくれる。
「マリア。こっちも一口食べてみるかい」
「いいんですか?」
 マリアは目を輝かせた。意外と子供っぽい所も在る。
「はい」
 彼女の口元に差し出すと、嬉しそうに一口食べる。
「隊長も、いかがです?」
「では、お言葉に甘えて」
 一口、含むと苺の甘さが広がった。
「うん、おいしい」
 そう言った俺を見て、彼女も嬉しそうだ。
 気持ちの良い風の吹く昼下がり、俺は間違いなく幸せだった。

 次の日、舞台も終わり、厨房でマリアが夕食の準備を始めた。
「あれぇ、隊長?」
「大神さん?」
 俺が何か手伝う事があればと、顔を出してみると、すでにカンナとさくらくんが来ていた。
「なんだ。二人が来てたのか」
「なんだって、なんだよ」
「ハハ...、ごめん。手伝いに来たものだから。二人がいるなら大丈夫かと思ってね」
 俺はカンナに素直に謝った。
「そんな事ありませんよ。手伝ってもらいましょう、ね? マリアさん」
「いいかい?」
 俺はマリアの方を見た。
「ええ、もちろんです。助かります、隊長」
 俺はマリアの指示でタマネギのみじん切りや人参の乱切りなどを手早くすませる。
「へぇ、隊長。意外とうまいんだな」
「まぁ、海軍士官学校時代に色々とあってね」
 俺は昔の士官学校の事を思い出した。
「何かあったんですか? 大神さん」
「大した事じゃないよ」
「いいじゃねぇか、教えてくれよ。隊長」
 カンナにもせがまれて、マリアに目を向けた。
「後は煮込んだり、直前にする事ばかりですから、大丈夫ですよ」
「ホントに大したことじゃないんだけど。...士官学校では、当番制で食事を作っていたんだ」
 俺はウェルダンになりすぎた炭のようなステーキの話や、ほとんど刺身のような焼き魚の話をした。すべて、同期生の失敗談だ。
「それで、俺はまともな食事が食べたくてね。日々、努力を重ねたわけだ。その結果が、これ」
 失敗談は大うけで、マリアも笑ってくれた。これは俺にとって、ちょっとした収穫だった。
「マリア、そろそろいいと思うけど?」
 俺は鍋の中を見て、マリアを呼ぶ。マリアものぞいて、頷いた。
「ええ。では、そろそろピロシキを揚げましょうか」
 熱い油の中で次々とキツネ色に変わっていく。
「うまそうだな。どれ、ひとつ...」
 カンナが揚げたてを頬張る。
「カンナさん!」
 さくらくんは驚くが、マリアは予想していたのか、何もいわない。一方、カンナはピロシキを口に入れたまま、何も言わない。
「どうしたんだ、カンナ?」
「...カンナ、水はあそこよ」
 マリアに言われて、カンナは水瓶に走りよる。
「ど、どうしたんだ?」
「揚げたてのピロシキを一口で頬張ったものですから、口の中が熱くて何も言えないんです。...まったく、前にも同じ事をしたのに」
 まるで、出来の悪い子供を見るように、マリアはため息をついた。
「喉元過ぎれば、熱さ忘れる。だね」
「あっちぃ?」
 ようやく、口の中のピロシキを飲み込んだらしい。たとえ熱くても、ピロシキを吐き出さなかったのは、さすがカンナというべきか。
「まぁ、今のをすみれくんに見られなくてよかった。また、喧嘩になってしまうところだ」
 カンナには聞こえないように俺が呟いたのを聞いて、マリアはまるで共犯者のように笑った。
「さ、料理を運んでしまおう」

「お、うまそうやなぁ」
「今日はマリアのごはんだぁ」
 テーブルに並べ始めると、花組メンバーが続々とやってきた。
「今日は隊長も手伝ってくれたから、格別だぜ。アイリス」
「え?? お兄ちゃんも??」
「俺はマリアの言うとおりやっただけだよ」
 アイリスに説明しながら、カンナに目で訴える。カンナもすまねぇと手を挙げた。
「いいじゃないですか、隊長」
「マリア...」
「さ、アイリス。隊長の料理が冷めないうちに食べましょう」
「あれ? すみれはん、まだかいな」
 紅蘭に言われて周りを見ると、確かにすみれくんが来ていない。
「ったく、あのお嬢様が。飯が冷めちまうじゃねぇか」
 カンナが言った時、タイミング良く、すみれくんがやってきた。俺はカンナが何か言う前に口を開いた。
「さ、全員そろったし、食事にしよう」
 おかげで喧嘩にならずにすんだ。隊長というのも大変だ。

「今日は少尉が作られたのですって?」
「だから、俺は手伝い。作ったのは、マリアだって。だいたいカンナやさくらくんも一緒だったんだから」
「でも、本当に大神さん、お上手なんですよ。それに士官学校のお話も...」
 嬉しそうにすみれくんやアイリス、紅蘭に話すさくらくんの様子に、俺はいい加減に諦めることにした。お茶を飲んでいるみんなを余所に、食器を片付けに行ったマリアの所へ行く。
「マリア」
「隊長?」
「今日はご馳走様。おいしかった。また、作ってくれると嬉しい」
 俺はマリアの横に立つと、彼女を手伝い始めた。マリアが洗った食器を乾いたふきんで、きゅっきゅっと拭いていく。
「隊長は休んでいて下さい。私は大丈夫ですから」
「いいんだ。俺がやりたくて、手伝っているんだから。それにマリアこそ、舞台が終わったばかりで疲れてるだろう」
「...ありがとうございます。隊長」
 そのうち、紅蘭がみんなの湯呑みを下げてきた。
「ありがとう、紅蘭」
「こないなこと、たいしたことあらへん。マリアはんこそ、料理、おいしかったで。その上、片付けまでさせてもうて」
「いいのよ、紅蘭。あなたも今日は早めに休むのよ。書庫なんかで寝ないようにね」
「マリアはんには、かなわんわ」
 紅蘭はお手上げで帰っていった。
「はい。マリア。お疲れさま」
 俺はパイプ椅子で一息ついているマリアにティーカップを差し出した。中には、昨日買ったアールグレイが入っている。
「...おいしい」
「これもね。士官学校時代に覚えたんだ。上官に凝っている人がいてね」
 俺は壁に寄り掛かって、自分用のブランデーに口をつける。
「隊長のカップから、ブランデーの良い香りがするのですけど?」
「え!」
 気付かれるとは思わなかったので、焦ってしまった。
「な、何のこと?」
「隊長? とぼけられても、無駄ですよ」
 マリアの厳しい目からは、逃げきれなかった。
「...たまにはね。今日は無事に公演も終わったしね。ちょっとした祝杯だよ」
「そうですね」
「他の人には内緒だよ」
 俺は隠していたボトルから、マリアのカップにブランデーを注ぐ。
「乾杯」
 俺はマリアのカップに自分のそれを軽く合わせた。
 彼女を部屋まで送って、別れる間際に彼女に聞いてみた。
「マリア、明日、何か予定があるかい?」
「いえ、特には」
「...もし、よければなんだけど。今度は俺の買い物に付き合ってくれないかな?」
 俺の頼みをマリアは笑って承諾してくれた。
「ありがとう。じゃ、おやすみ、マリア」
「おやすみなさい、隊長」

「今日はありがとう。付き合ってくれて」
 朝食の後、他の人に捕まらないうちに、二人して出掛けた。
「いえ。でも、私なんかでよろしかったのですか?」
「ん?」
「私よりすみれとかの方がよろしかったのでは...」
 洋服を買いに行くという俺にマリアは、そう聞いてきた。
「すみれくんだと、俺が付き合わされて、荷物持ちにされちゃうよ」
 俺は以前、彼女に付き合わされた時の事を思い出して、ため息をついた。
「それに俺は、マリアと出掛けたかったんだけど。迷惑だったかな?」
「え? いえ、そんな...」
 マリアは頬を染めて、下を向いてしまった。

 有名な百貨店の中の服売り場でシャツとズボンを一つずつ選ぶ。
「待たせてごめん」
 俺は支払いを済ませると、待たせていた彼女に謝った。
「お詫びとお礼に、昼食は俺がおごるよ。行こう、マリア」

「今日もいい天気だね」
「そうですね」
 二日前と変わらぬ青空が二人の頭上に広がっていた。昼食をすませた後、俺達はまた、公園に来ていた。
『平和』
 確かにそう思う。が、そう思う度に哀しくなってしまうのは、何故なのだろうか。不意に俺の視界がかすんだ。
「! 隊長?」
「ごめん、マリア。こんな所で、いきなり。ごめん...」
 俺は下を向いて、目を閉じて涙を止めようと努力するが、止まらない。そんな俺の頬に触れるものがある。マリアの手だった。そのまま、俺を肩口に引き寄せると、優しく言ってくれた。
「隊長は優しい人ですから。...あやめさんの事でしょう?」
「...俺は優しくなんてない。俺があの時、引き金を引いたから。『殺女』になった時も。叉丹の攻撃からも助けられなかった」
 マリアは何も言わず、ただ優しく俺を抱きしめてくれる。
「俺は...。天使長ミカエルに会いたくて戦った訳じゃない。ただ『あやめさん』を取り戻したかった。それだけなのに...。俺には、それすら出来なかったんだ!」
 ずっと言いたくて、言えなかった事を口にした。ずっと、気にしていた。花組の隊長として、あの行動は正しかったのか。
「ずっと、気になさっていたのですね。でも、もういいんです、隊長。もう、いいんです」
 背中を撫でてくれるマリアの手が、優しくて優しすぎて。
「マリア、悪いけど。しばらく、このままで...」
「...はい」
 あやめさんを失った時にも流れなかった涙を、俺はマリアの腕の中で流した。

 しばらくして、俺は顔を上げた。自分でも赤くなっているのがわかる。恥ずかしくて、マリアの顔をまともに見ることが出来ない。
「...ごめん、マリア。その...子供みたいに泣いてしまって...」
「いいえ、いいんですよ」
「...マリアには感謝しているんだ。いつも、俺を支えてくれて。俺が守ると約束したのに、俺の方が守られてばかりだ」
 ひとしきり泣いて、俺は心のつかえが消えているのを感じた。我ながら、現金だと思うが仕方ない。
「...ところで、マリア」
「はい?」
「...あ?、その、今日の事は秘密にしておいてもらえないかな?」
「フフフ...、はい」
 俺は彼女の返事にほっとした。
「では、もう少しこうしていましょうか。今、帰ったら、すぐわかってしまいますから」
 泣いた為に、目の周りが腫れているのだろう。マリアは手袋を外して、俺の瞼に触れる。その指の柔らかさが心地よい。

「さ、隊長。帰りましょうか」
「そうだね」
 ベンチから立ち上がった時、俺は誰かに呼ばれた気がして振り返った。
『苦しい時、不安な時。そんな時にいがみ合ったり、迷っていては駄目よ。大切なのは、それがどんな結果に終わったとしても、後悔しないように努力し続けること。そうでしょう?』
 俺は春の日差しの中、確かに彼女を視た。
「はい」
 俺は力強く返事をしていた。
「隊長?」
「ん? 何でもないよ」
 マリアには見えなかったようだ。
「本当に何でもないんだ。さ、帝劇に帰ろう」
 俺はマリアの横に立つと、彼女に笑いかけ、その手を取り歩きだした。
「大神さん!」
「うん、今日もいい天気だね。『平和』が一番!」
 俺は晴れ渡った空を見上げた。