[ 君は君の誇り ]

『火魅子伝』
九峪×藤那。酒の席にて。

「お?い、九峪」
「藤那? なんだか嬉しそうだな」
 城内を歩いていた九峪は横合いから声を掛けられて足を止めた。
「なあ、九峪。ここの元城主はかなりの酒好きだったそうだな」
「ああ。なんでも各地から酒を集めてたって聞いたけど......まさか......」
「さあ、行こう。すぐ行こう」
「お、おい。戦利品は兵士全員に平等にだな......」
 九峪の声は藤那の耳に届いてはいない様だ。彼女は九峪の腕を掴むと、強引に酒蔵へ向かった。

「おお、これは凄い!」
 藤那は蔵の中に並ぶ瓶や樽の数々を目を輝かせながら眺める。
「ん?、確かに...」
 九峪も感心してしまう程の種類と量だった。
「おお、これは名酒『鬼ごろし』。こっちは...」
 藤那は早速物色を始めている。九峪はそれを横目で見ながらため息を吐いた。そんな彼の目に飛び込んできたのは...
「これ...ワインか?」
 日本酒の瓶とは明らかに形の違うそれを持ち上げてみる。ラベルの文字は掠れてはっきりしない。
「どうしたのだ、九峪?」
「ん? 何かいいの、見つかったのかい?」
「ああ。ここは宝の山だな。色々とあったぞ。ところで、それは何だ?」
 藤那も見た事の無い瓶に興味を示した。
「ワイン...だと思うけど、どうかな?」
 九峪は酒蔵に差し込む微かな光に瓶を透かしてみる。
「わいん? 何だ、それは? 酒なのか?」
「俺の居た世界にあった酒の名前さ」
「何? 九峪の世界の酒だと?」
 九峪の言葉に藤那はますます興味を惹かれた様だ。
「瓶の形がよく似てるだけだよ」
「しかし、そう言われては是非、飲んでみたいぞ」
 目を輝かせる藤那に九峪は笑っていた。
「何を笑っている」
「いや...。嵩虎に言って、こいつは俺がもらおう」
 九峪は笑いをおさめ、瓶を抱え直す。
「なにぃ?。それはないぞ、九峪」
「...そうすれば、藤那は自分の名前でもう一本もらえるだろ? これが外れだった時の予防も兼ねてさ」
 九峪は笑って振り返る。
「戦利品は兵士達にも分けるからそれ以上は無理だろうけど。この位なら何とかしてくれるだろ」
「九峪...」
「さ、嵩虎に言いに行くとするか」

 次の日、藤那の部屋へ戦利品の分け前である酒樽が運ばれてきた。
「おー、来てる来てる」
「九峪、例のやつ、持ってきてくれたか?」
「ああ。約束だからな」
 九峪は持ってきた瓶を藤那に渡す。
「これが、九峪の居た世界の酒か...」
 微妙に違うのだが、嬉しそうな藤那に九峪は何も言わなかった。
「すみません、九峪様」
「別にいいさ。閑谷、悪いけど俺にも何か飲み物を頼むよ」
「はい」
 閑谷は九峪に頼まれて部屋を出る。
「さて...、これはどうやって開けるのだ?」
「コルク栓な。昨日、羽江に頼んでオープナーを作ってもらっといたよ」
 九峪はポケットからそれを取り出した。
「おーぷなーというのか」
 藤那は渦巻き状のそれをまじまじと見つめる。
「これを......」
 九峪はコルク栓にねじ込むと、ポンと音を立てて抜いた。
「ついでにグラスも調達してきたから、こいつでどうぞ」
 そう言って藤那の前へグラスを置く。
「どうしたのだ、これは?」
「...ここの元城主、本当にあの酒全部飲むつもりだったのかな。城主の部屋にあったから借りてきた」
 その城主の部屋は今現在、九峪が使っている。グラスを洗って乾いた布で綺麗に拭くと、日の光を反射して輝いた。
「九峪、早く注いでくれ」
「はいはい」
 瓶を傾けると、予想通り赤紫の液体がグラスを満たしていく。それと同時に葡萄の豊かな香りが立ち昇った。
「葡萄の酒か...。綺麗な色だな」
 藤那は目の高さに上げて光に翳す。
「嬉しそうだね、藤那。はい、九峪様」
 戻ってきた閑谷は九峪の前に湯のみを置いた。
「サンキュ、閑谷」
 白湯に柑橘系の果汁を搾ったものを九峪は気に入っていた。
「葡萄を皮ごと搾って、その果汁を樽に詰めて発酵させるんだ。すると、こいつが出来る...らしい」
「ほぉ、今度、山葡萄で試してみるとしよう」
 九峪の話を聞きながら、早速グラスに口を付けた藤那は味にも満足した様だ。
「こいつは何を肴に飲むのだ?」
「いつもと同じじゃ駄目なのか?」
「せっっかく、九峪の世界の酒を飲んでいるのだぞ? 肴も合わせたいではないか」
 藤那に力一杯言われ、九峪は考え込む。
「そうだなぁ......。肉とかチーズ...とかかな」
「ちーずとは何だ?」
「う?ん、牛乳から作るんだけど...説明難しいなぁ。 俺もそんなに詳しく知ってる訳じゃないし...」
 藤那の質問に九峪は説明に困ってしまう。
「そうか...。それでは仕方ない。肉だな、閑谷」
 藤那の指名で閑谷はため息を零しながら立ち上がると、部屋を出ていった。
「肴が来るまで、九峪の世界の話が聞きたいぞ」
「俺のいた世界ね...」
 九峪は懐かしそうに呟いた。
「このわいんの他にどんな酒があるのだ?」
「清酒もあるよ。焼酎も。でも、一番身近なのはビールかな」
「びーるとは?」
「麦から作るんだ。アルコール度数はそんなに高くないけど」
 九峪達がそんな話をしていると、閑谷が戻ってきた。皿の上には薫製肉のスライスが載っている。
「お、やっと来たか」
「こいつは旨い」
 九峪もそれを摘んで、頷く。
「酒も進むというものだな」
「...ほどほどにな。閑谷、俺がいるから今日はもう休んでいいぞ」
「すみません、九峪様」
 閑谷は九峪に礼をすると下がっていった。
「閑谷の奴、すみませんとはどういう意味だ?」
「ま、いいじゃないか」
「いいや、良くないぞ」
「はいはい。今日は俺が相手をするから許してやってくれよ、な?」
 九峪は酔っている藤那に優しく言う。
「...九峪がそこまでいうのなら、仕方が無いな。許してやろう」
 そんな藤那の言い方に九峪は苦笑するしかない。
「しかし、相手のお前が飲めんのはつまらんぞ」
「未成年だからな。駄目だよ」
 九峪の言葉はどこか謝る様だ。
「なら、せめて酌をしてくれ」
「仰せのままに」
 差し出されたグラスに九峪は笑ってワインを注ぐ。
「...やはり、笑顔はそうでないとな」
「え?」
「九峪の笑顔はたまに嘘をつくからな」
 藤那はグラスを弄びながら呟くように言う。
「戦いの終わった後とかな。無理に笑っているお前を見るのは、結構辛い」
「............」
 九峪は鼻の頭をかいて、目を反らした。
「今のは素直ないい笑顔だぞ、九峪」
 藤那の言葉に九峪は三太夫に言われた事を思い出す。
『このお人はするどいお人やで...。まわりで起こったことをじっと見つめてま...。せやさかい、このお人に接するときはよーく注意せなあきまへん』
「本当だ」
 思わず笑いが零れた。
「ん?」
「いや...。ありがとう、藤那」
 笑い続ける九峪に今度は藤那の方が豆鉄砲を喰らった様な顔になる。だが、九峪の顔を見、納得した様に頷くと、
「それはよかった...」
 それだけ言って、眠ってしまった。
「藤那?」
「う?、むにゃむにゃ」
 九峪に寄り掛かって眠ってしまった姿からは、先程の真剣な目をした彼女を想像するのは不可能だろう。
「まったく、しかたないなあ...」
 九峪は微苦笑と共にため息を零した。
「いつの間にか、日本酒の瓶まで空けてるし......」
 呆れながらも、背中と膝の後ろへ腕を入れて藤那を抱き上げ、寝室へ向かう。
「明日の朝は二日酔いだな...。ちゃんぽんしてるし」
 完全に寝入ってしまった藤那を寝台に載せ、布団をかけてやる。
「おやすみ、藤那。さて、俺もそろそろ寝るとしよう」

 次の日。きっちり二日酔いになった藤那を見舞う九峪の姿がありましたとさ......