約束を果たそう。
秋のとある日曜日。
諒は朝から起き出し、自宅のマンションを出た。朝夕にはだいぶ冷え込むようになっていたので、薄手のジャケットを羽織っている。
あまり朝に強くない彼としては日曜の朝くらいはもう少し寝ていたいのだが、今日はそうも行かない理由があった。
それでもぎりぎりまで寝ていたので朝食も採ってない。取り敢えず途中の自動販売機で目覚ましも兼ねて買った缶コーヒーで空腹をごまかしていたが、待ち合わせの地下鉄駅に着く頃には限界が来ていた。
売店を見つけ、カロリーメイトともう一度コーヒーを買った。
改札前には既に見知った人がいた。
「おはよう、Ryo」
「おはよう」
諒はエリーに挨拶を返すと、行儀が悪いとは思ったが早速カロリーメイトを口に運ぶ。
「Ryoはカロリーメイトが好きなの?」
「いや、ただ手軽に食えるから」
カロリーメイトをコーヒーを流し込み、人心地ついた諒はそう答える。
「朝、時間が無くて」
日曜の朝とはいっても、この時間になってくれば人も増える。この組み合わせはとても目立った。
「今日はとても楽しみにしてたの」
エリーの飾らない微笑みに諒も笑顔を見せた。
「そうだな」
以前から約束していた。全てが片付いたら遊園地に行こうと。先日退院した麻希の快気祝いを兼ねて漸く実現する事になったのだ。
「あ、Yukino、Kei.」
エリーは現れたゆきのと南条へ声を掛けた。
「む? 桐島...それと真田か」
「二人とも早いね。他のメンツはまだかい?」
彼らに気付いた二人もこちらへやってきた。
「ああ」
「まだ少々あるからな」
南条は時計を見てそう言った。
それから五分して麻希と千里がやってきた。そのすぐ後ろではマークと内藤が手を振っている。
「おはよう、みんな」
諒も軽く手を上げ応えた。
「今日、晴れて良かったね」
「ああ」
「日頃の行いのお陰だな」
「お前のか?」
マークの言葉に南条はそんな事はありえんと言いたそうな顔を見せた。
「ちげーよ。園村に決まってんだろ。な、真田?」
諒が頷くと、麻希は笑った。
「ありがと。決まった日からずっと楽しみにしてんだもん」
そう言って千里の所へ行ってしまった麻希に、残された男性陣は目を合わせ軽く手を打ち合わせた。
時間ちょうどになって玲司が姿を現した。マークとの会話の端々から寸前まで迷っていた様子がうかがえる。
「あとは?」
「BrownとYukaがまだみたい」
エリーの言葉に諒も辺りを見るが、それらしい人影はない。
「全く...時間ぐらい守れんのか」
南条は時計を睨みつける。
「少しくらい、いいじゃんかよ」
「いつものことだしね」
ゆきのも呆れていたが、同時に諦めている。
「ごめ?ん」
「悪ぃ、悪ぃ。遅れちまった」
二人揃って走ってきたのは、それから五分後のことだった。
遊園地に着いた一行は子供に戻って遊び回った。
そして夕方近くに諒が気付いた時には、彼は一人になっていた。周囲を見回すが、誰もいない。
少しその場で考え込むが、どうしようもない。パレードの見物をしている時に空を登っていく風船に気を取られた自分が悪いのだ。
仕方ない。軽くため息をついた彼は手近なベンチへと腰を降ろした。
パレードが終わり、人が少なくなって来たためだろう。時折、すっと気持ちの良い風が吹く。
しばらくそうやって空を見上げていた諒に目を付けた二人の女性が声を掛けてきた。
「ねぇ」
「君、ひとり?」
まさか自分に声を掛ける人がいるとは思わなかったが、目の前に立たれては間違えようもない。
「暇だったら私達と遊ばない?」
「...友達と来てるから」
諒の返事はそっけなかったが、その位で引いてくれる人はナンパなんてしないだろう。
「えー、じゃあ、その子も一緒にね? どんな子?」
「......」
諒は無言になった。遠慮の無い彼女達の態度が好きになれなかった。
その時、視界の端にエリーの姿が入ってきた。天の助けとばかりに彼女へ手を振った。
「なんだ、彼女持ちか...」
エリーが歩いてくるのを見て、急に興味を失ったらしく、二人はそそくさと立ち去った。立ちかわりエリーが諒の隣に座ると、彼は心の底からの安堵のため息をついた。
「来てくれて助かった......」
見知らぬ女性といた諒を見て妬いていた彼女だったが、諒の言葉にそんな気持ちは霧散していった。
「フフフ...、Demonに恐れず立ち向かった人の言葉とは思えない」
「...ある意味、クチサケよりタチが悪いぞ」
立直った諒は断言する。
「あ、他のみんなは?」
諒は漸くはぐれた事を思い出した。
「そうそう、それでRyoの事探してたの。あとでKeiの予約したレストランに集合。それまで自由時間になったの。ChisatoとYosukeもいるし」
なるほどと諒は頷いた。
「突然居なくなったと思ったら、こんなところで女の人と話をしてるんだから...」
先程の光景を思い出した彼女はそんな事を呟いた。その言葉に諒は微笑むと、彼女の前に立って手を差し出した。
「もし一人なら、俺と遊ばない?」
エリーは諒を軽く睨みながらもその手を取った。
「Ryo...」
諒が彼女の手を引いてやってきたのは、観覧車だった。
「...さ、乗ろ」
そう言ってくれた諒だったが、乗ってしばらくしてエリーはその様子の変化に気付いた。
「どうしたの?」
「いや...別に」
「別にって...顔色が悪いわ」
そう言ってエリーが立った時。
「くっ...」
諒は目に見えて青くなった。
「Ryo...私、立っただけよ?」
「......高所恐怖症なんだ」
実は乗ったはいいが、全く身動きが取れなくなっていたのだ。
「でも......」
エリーはジェットコースターを楽しんでいた彼を思い出して不審な表情を見せた。
「スピードものは大丈夫。景色を見てる余裕のあるこいつは......」
立っているエリーにしがみつく諒。
「下を見る分には全然平気なんだ。でも一度下を見て上を見上げると、足下が無くなるような気がして......駄目」
「なら、どうして乗ろうなんて」
確か乗ろうと言い出したのは彼だったはず。
「前に言ってただろ? 一緒に乗りたいって、だから!」
その時突風がグラリと揺らし、諒は身体を固まらせた。本気で怖がっている彼に驚きを隠せないエリーだったが、そこまでして観覧車に乗ってくれた彼に嬉しくなった。
『私、諒と観覧車に乗りたいな』
何気なく言った彼女の言葉を彼は覚えていたのだ。
「Ryo.ありがとう...」
エリーは彼の肩を優しく抱いた。
夕日が綺麗な時間だったが、二人にとって意味は無かったようだ。
「大丈夫?」
「...ああ」
観覧車でここまでヨロヨロになる客も珍しいだろう。
「もうすぐ着くわ。降りたら、どこかで休みましょ」
「大丈夫。地面に着けば。...飛行機は平気なのに、何故かどんな所でも下を見て空を見上げると足がすくむんだよ...」
諒はしゅーんと肩を落としている。
「ごめん。せっかく乗ったのに、こんなで」
「ううん。いいの」
「エリーがそう言うならいいけど...。他の連中には言わないでくれるか?」
諒の頼みにエリーは笑って承諾した。
「Ok、Ryoと私の秘密」
「ありがと、エリー」
二人はその後ゆっくりと辺りを歩いて、レストランのあるホテルへと向かった。何でも花火を見る特等席なのだとブラウンに頼まれたらしい。
最上階にあるレストランで、諒がさり気なく窓から離れて座るのを見て、エリーは思わず笑いを零していた。
「...エリー?」
「なんでもないの。ほら、Maki」
全員が席に着くのとほぼ同時に、夜空に色とりどりの華が咲いた。
「わぁ...」
「綺麗なものだな」
口々から声が零れる。が。料理が運ばれてきては花より団子だった。
「んじゃ、また明日。学校で!」
「おやすみ」
地下鉄の駅で別れ、それぞれの家路につく。
「エリー、送っていくよ」
諒は同じ方向のエリーの隣へ並んだ。
「Ryo?」
「夜道は危ない」
本気で心配している様だ。
「ありがとう。でも心配はいらないわ。私達にはPersonaがあるもの」
「...それでも」
諒は彼女を送っていくつもりだった。エリーはその厚意に甘えることにした。それに少しでも一緒にいられるのは嬉しい。
「今日はFullmoonだから、Demonが出てくるんだったらいいのに」
「...そういうとこ、変わってないな」
満月を見上げ、少し残念そうに呟く彼女に諒は苦笑いした。
「でも、そんなとこも好きだな」
諒の言葉にエリーは思わず足を止めた。
「...どうした?」
「ううん、なんでもない」
この人は自分の一言がどんな魅力を持っているか知らない。エリーは鈍いとしか言い様の無い諒にこっそりため息を吐いた。
諒は無事にエリーを家まで送り届けた。
「じゃ、また明日。おやすみ」
「おやすみなさい。Ryo」
玄関先で手を振る諒に先刻のお返しとばかりにエリーは彼の頬に軽くキスをすると、玄関へ入っていった。
二階の自室に戻ったエリーは、突然の事に驚いていた諒の顔を思い出し一人笑った。
今日は良い夢が見られそうだ。