[ 月に祈りを ]

[ サクラ大戦 ] 太正櫻に浪漫の嵐。
月見で一杯。

「もうすっかり秋だなぁ」
 澄み渡った空に天高く馬肥ゆる秋...などと思わず呟いている。この日は仕事も少なく、大神は午後、屋根の上で横になって空を見上げていた。
「公演も近くなってきたし」
 花組の面々は舞台稽古の真っ最中だ。先程、二階の客席からちらりと様子をみてきた。大神がのんびりしていられるのも、あと少しだろう。
「今日ぐらいはゆっくりと...」
 そう言いながら、目を閉じる。秋の穏やかな日差しの中、大神は微睡み始めた。

 稽古が終わり、明日の月見の準備を始めようとマリアは大神を探していた。前々から手伝って欲しいとは言っておいたのだが、部屋にもサロンにも見当たらない。
「マリア?」
 テラスを覗いているマリアを見つけたかえでは声をかけた。
「かえでさん。お疲れ様です」
「マリアこそ。どうかしたの?」
「その、隊長を捜しているのですが...。見当たらなくて」
「大神君?」
「ええ。明日のお月見の買いだしを手伝っていただこうと思っているのですが」
「...そうね、明日は仲秋だったわよね」
 書類を胸に抱えてしばらく考え込んでいたかえでは、やがて心当たりの場所を思い付いて微笑みを見せた。
「屋上は?」
「え? ...屋上ですか?」
「そう。大神君、最近は天気がいいと上にいる事が多いらしいわよ」
「ありがとうございます、かえでさん」
 礼を言って、早速屋上に向かうマリアを手を振って見送るかえでだった。

 目当ての人はすぐに見つかった。
「隊長」
 呼び掛けてみたが、聞こえなかったのか、大神は動く気配を見せない。
「隊長?」
 もう一度、呼んでみるが反応が無いので近付いてみる。
 大神は屋根の上で日向ぼっこをするネコのようにすぴすぴと寝息をたてていた。その様子にマリアは思わずクスッと笑ってしまった。
「ん......」
 その気配に気付いたのか、大神が薄く目を開いた。
「お目覚めですか? 隊長」
「......」
 大神はぽやっとマリアの方を向いた。
「...え? あ、マ、マリア」
 突然のマリアのアップに驚いて、大神ははっきりと目が覚ました。そして一瞬後、大神は寝顔を見られていた恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
「な、何かあったの?」
「いえ」
 マリアはただ、微笑んでいる。
「あ! ごめん。手伝うって約束してたよね」
 大神は約束を思い出し、飛び起きて彼女に謝った。
「お休みの所を申し訳ありません」
「いや、忘れてた俺が悪いよ。本当にごめん。で、何をすればいいんだい?」
「今日は、買い出しです」
「わかったよ。じゃあ、行こうか」

「う?ん。今日は良い天気だ」
 伸びをする大神を見て、マリアはクスッと笑った。先程の大神の寝顔と寝起きの表情を思い出したからだ。
「ん? 何?」
 大神は突然笑ったマリアを見て首を傾げた。
「いいえ。何でもありません」
「そう?」
 まぁいいか、と大神はそれ以上の追及はしなかった。マリアが笑っていてくれるなら、それでいい。
「とりあえず、酒屋に行きましょうか。明日は宴会だそうですから」
「米田支配人が楽しみにしてるって」
「ええ。月見の友は団子ではなくて、お酒だそうです」
「なるほど。で、どのくらい注文するんだい?」
 大神はマリアの返答を聞いて、ちょっとため息をついた。
「明日は凄い事になりそうだ......」
「カンナも泡盛を出すとか...」
 マリアの言葉に早くも頭痛のしてきた大神であった。

 次の日の午後、稽古が終えたマリア達は団子作りを始めた。
 大神とカンナは昨日注文していた酒を取りに出かけている。
「ねぇ、マリア。このくらい?」
 アイリスは試しに作ったものをマリアに見せた。
「えぇ、そう。そのくらいの大きさにしてくれる?」
「うん」
 アイリスは笑って次に取りかかる。レニもアイリスの作った物と同じ大きさに揃えていく。
 マリアとさくらはその横で酒のつまみを作っていた。
「た、ただいまぁ」
「あ、お兄ちゃん。お帰り」
 大神は酒樽を降ろして、息をついている。
「お疲れ様です」
「だらしねぇぞ。隊長」
 対するカンナは片手で軽々と酒樽を持ち上げ余裕の表情だ。
「は、はは」
「お、うまそうに出来てるじゃねぇか」
 アイリスとレニの前に団子の山が出来上がっているのを見つけ、カンナは嬉しそうに言った。
「すごいでしょ」
「おう」
 カンナはクシャッとアイリスの頭を撫でてやる。
「へへ。じゃ、カンナに一つだけあげるね」
「お、さんきゅ」
 カンナはアイリスに作りたての団子を口に入れてもらう。
「うん。うまい」
「あたりまえだよ」
 カンナの言葉にアイリスは胸を張ってみせた。
「アイリスとレニが作ってるんだから。ね、レニ」
「うん」
「はは。そうだったな」
 カンナがもう一度アイリスの頭を撫でていると、紅蘭がやってきた。
「あ、カンナはん。ここにおったんかいな。中庭の準備、手伝ってや」
「そうだったな。今、行くよ」
 二人は慌ただしく厨房を出ていった。

 夜になり、満月が天頂に昇る頃。花組の面々は御座が敷かれ用意の整った場所にぞろぞろと集まり始めた。
「な、中庭にして正解やったろ?」
「ああ、そうだね」
 中庭で、というのは紅蘭の提案だった。
「おう、大神ぃ」
 支配人はすでに出来上がっているようだ。その横では、加山が笑いながら杯を重ねている。
「大神ぃ。月はいいなぁ」
「お兄ちゃん。こっち、こっち」
 厨房から料理を運び終えた大神は、アイリスに引っ張られ、月見の席に加わった。
「よぉ?し、飲むぞぉ!」
「お?!」
「隊長。今日はあたいの秘蔵泡盛もあるからな」
「うちの作った果実酒もあるで」
 大神は盃が開ける度に横からタパタパと注がれる。ふと横を見ると、レニがコップに日本酒を注いでいた。
「お、おい。レニ?」
「このくらいの量なら問題ない」
 よく見ると、織姫もさくらとグラスワインを飲んでいる。
「おいおい、皆、未成年だろ...」
 大神は飲み始めて、ものの五分と経たないうちに頭痛がしてきていた。

「まったく、アルコールが入ると人が変わるって本当だよなぁ...」
 大神はテラスで月を見上げた。まだ中庭では米田、加山、かえでの飲み比べが続いている。花組の面々はマリアを除き、すでに部屋へと引き上げていた。カンナが先程まで張りあっていたが、いきなり眠ってしまいリタイア。今、大神とマリアで部屋まで運び込んだ所だ。
「戻らなくても、よろしいのですか?」
「...俺はあの三人との飲み比べは、力一杯遠慮したい」
 大神は中庭の様子を思い浮かべた。米田は普段と変わらず、加山は笑いながら、かえでは淡々と飲み続けているのだ。
「しかたないですね」
 げっそりする大神にマリアは優しい微笑みを見せた。
「でも、お酒は嫌いじゃないんだよね。特に静かに飲むのは」
 そう言って大神がポケットから取り出したのは、小さな瓶だった。右手にはサロンから持ってきたのだろうグラスが二つ。
「それは?」
「去年、俺が南米まで航海訓練で行ったのは知ってるよね? その途中に停泊した街で買ったんだ。トウモロコシで作ったお酒らしいんだけど。もう残りがこれだけでさ」
 すでに半分以下の量となっているその中身を、大神はグラスに注ぎ分けた。
「今まで大切に飲んできたんだけど、今日みたいに月の綺麗な夜に飲み切るのも悪くないなと思ってね。はい」
 片方をマリアに手渡す。
「...よろしいのですか?」
「勿論」
 大神の返事にマリアは口を付けた。ほんのりと甘い。
「おいしいです」
 大神はその答えに嬉しそうだった。しばらく、二人で静かに飲み続ける。

 そのうちに夜も更け、風が緩やかながら流れ出し始めた。せっかくの月も雲に隠れてしまう。
「月に叢雲、花に風...かぁ」
「え?」
「いい状態は長続きしない。...そういう意味だよ」
 大神は雲に隠された月を見上げて、グラスを傾ける。
「月満ちれば、則ち虧く。満月は必ず欠ける。何だって何時かは必ず衰える。確かそういうのもあったな。史記だったと思うけど」
「大神さん...?」
「今の状態だって、またいつ壊れるかわかったものじゃない。そう、さ。米田長官が撃たれたみたいに。いつ、俺達の中の誰かが命を落としたって、全然不思議じゃない!」
 大神の手の中にあった空のグラスが高い音をたてて砕け散った。
「大神さん! 何をしているんですか!」
 マリアは握り締められた大神の拳から鮮血が滴るのを見て、強引に開かせる。
「っ!」
「痛くて当たり前です」
 大神を部屋まで連れていくと、マリアはガラスの破片を取り除いて手当てを始めた。その間、大神はおとなしくされるがままになっていた。
「落ち着きましたか?」
「...うん。ごめん」
 大神は包帯を巻かれる右手をじっと見ている。
「はい。終わりです。これを飲んでください」
 マリアは痛み止めを渡した。
「...ありがとう」
 大神は受け取って飲み込む。
「時々、たまらなく不安になるんだ」
 大神の言葉をマリアは黙って聞いていた。
「いつか、誰かがいなくなってしまうような気がして。この平和は簡単に壊れてしまうような気がして」
 大神は次第に薬が効いてきたのだろう、睡魔に襲われているようだった。だから、それだけ言うと大神はすうっと気を失うように眠ってしまった。マリアは崩れ落ちるように横になる大神に毛布を掛け、部屋を出た。

「...マリア? まだ起きてたの?」
「かえでさん」
 サロンに入ってきたのは、中庭で飲んでいるはずのかえでだった。彼女は頬をほんのりと染めているだけだ。酒に強いのは、姉妹とものようだ。
「大神君は? もう寝てるの?」
「ええ。少し、飲み過ぎたみたいで」
「あらあら、しかたないわね」
「支配人と加山さんは? まだ飲んでいらっしゃるのですか?」
「お酒の方が無くなってしまったの。米田支配人は応接室で、加山君は宿泊室で寝てるわ」
 かえではマリアの問いにそう答えた。
「私も休む事にするわ。マリアもそろそろ部屋へ戻って休みなさい。明日も稽古はするんでしょ?」
「はい。おやすみなさい、かえでさん」
 かえでがサロンを出ていった後も、マリアはサロンで銀盤の様な月を見つめていた。
(この穏やかな刻を、今だけでも...)
 そのマリアの祈りを、月はただ静かに皓々と照らしていた......