[ 春 ]

[ サクラ大戦 ] 太正櫻に浪漫の嵐。
三月三日、雛祭。

 そろそろ三月。すっかり春らしくなった陽気に誘われ、大神はいそいそと屋上に向かった。
「あ?、今日もいい天気だ」
 一日の仕事を終え、気持ちよく日向ぼっこを始める。
「いやあ、大神ぃ。春はいいなぁ?♪」
 それを邪魔する奴に一撃を加えておくのも忘れない。
「くっ...日毎に攻撃が容赦無くなるな」
「...で、今日は何の用だ?」
 身体を起こす大神の口調は仕方ないと言わんばかりだ。
「来る三月三日が何の日か? 知っているか?」
「紅蘭の誕生日」
 何を当たり前の事を聞くんだと大神は顔を顰めた。
「...ふっ、大神ぃ。まだまだ甘いな。それだけなら問題は無い。三月三日は雛祭りもあるという事を忘れてないか?」
「だから?」
「その準備もあるんだ。こんな所でのんびりしている暇はないぞ。今回は女性陣の手を一切借りないからなぁ」
「な!」
「当然だろう? 雛祭りは女の子の日だからな」
 文句ないよな? と加山はにこにこと笑っていた。
「...かえでさんにいい所を見せようとしてないか? お前」
「大神ぃ、俺たちは親友だよなぁ?」
 大神の冷たい視線に加山はガシッと彼の肩を掴んだ。
「...わかったよ」
「さすが俺の親友。話がわかる。という事でだな...」
 こうして日当たり良好の屋上は、親友同士の秘密計画が練られる会議所になったのだ。

「えっと...例のあれは注文出したんだよな?」
「ああ。ちゃんと鉢植えの奴を頼んでおいたぞ」
 雛人形をサロンに飾りつけながらも大神と加山は当日の計画を進めていた。雛段は七段ある立派なものだ。どこから調達したのか、大神は加山に聞く気はない。
「後は料理か...」
 今回は一切女性陣の手を借りないという方向で動いているため、特に料理の手際は良くしないといけない。薔薇組の手を借りたいところだが......大神としては死ぬ気で遠慮したい。
「甘酒も注文したんだよな......絶対に何とかしてみせる!」
「その意気だ、大神! マリア君も見ているぞ!」
 加山にちゃんと一撃を加えておいて、大神は厨房へと降りていった。

 厨房に入った大神は下拵えを始める。
「ちらし寿司が中心だから...何か温かいものも最低一品は欲しいなぁ」
 メインを中心に他の料理を考えていく。マリアやさくらの手を借りられないとなっては、久しぶりに振るう料理の腕が落ちていないのを祈るのみである。
 この日、厨房からは夜遅くまで作業する音が聞こえてきていた。

 三月二日。帝劇の前に一台のトラックが止まった。
「すみません。ご注文の品をお届けにあがったのですが」
 事務局に入ってきた配達員にかすみと由里は目を丸くした。
「...今日、何か届く予定ありましたっけ?」
「無かったと思うけど......」
 二人が戸惑っていると、大神と加山が車の音を聞きつけて現れた。
「ああ、こっちに運んでくれるかな?」
「はい」
 配達員が運んできたのは、桜と橘の植木大小一つずつだった。
「わぁ......」
 それらの花はちょうど見頃になっていて、かすみと由里は思わず感嘆の声をあげた。
「毎度ありがとうございました」
 配達員を帰すと、大神は橘の鉢を大事そうに持って二階へ上がっていった。その後を桜の鉢を持って追おうとした加山は由里に捕まってしまう。
「加山さん、それどうしたんですか?」
「...雛祭り用にね。知り合いから格安で手に入れたんだ」
「格安って...凄く良い枝振りじゃないですか。どんな知り合いがいるんです?」
 好奇心の塊の彼女は目を輝かせるが、加山は秘密だよと笑うだけだった。

「きれい...」
 早速サロンには由里から噂を聞きつけた面々が集まってきた。
「桜...バラ科の落葉高木。春一面に咲く薄紅色の花は日本の国花。橘...ミカン科の常緑低木。小さくて酸味のある実を付ける」
「レニ君の知識はさすがだなぁ。他にも橘は四姓と云われるもの一つでもあるんだ。ちなみに四姓は源氏、平家、藤原、橘の昔大きな力を持った四つの一族の事だよ」
「へぇ...」
 そんなレニと加山の話を聞きながら大神は、鉢の大きい方は段の両横に、小さいものは五段目の両端に左右を確かめて置く。
「あとは...」
 手に持った資料を見て足りないものを確かめる。
「う?ん、まだ色々とあるなぁ......」
 そう言いながらサロンを出た彼は書庫に入るマリアを見つけた。ちょっと休憩しよう。そう決めた大神は書庫へと入った。
「マリア」
 大神が声を掛けると、本を探していた手を止めて彼女は振り返った。
「隊長、準備の方は順調ですか?」
「まだまだ足りないものも多いんだけどね」
 彼女の質問に大神は肩を竦める。
「マリアは何をしてたんだい?」
「今回は隊長と加山さんが準備をしてくださるというので、雛祭りの事でも調べようかと思って」
「それだったら、夜にでも俺の知っている話を教えてあげるよ」
 大神は言い終わってから慌てて付け足す。
「あ、勿論マリアが迷惑じゃなかったらなんだけど......」
「迷惑だなんてそんな...隊長こそ、いいんですか?」
「ああ。じゃあ、見回りが終わったらマリアの部屋に行くから」
「はい」
 大神の午後からの準備作業にやたら力が入っていた事は言うまでもない。

「よし、準備完了。後は明日の料理だな」
 大神が手を止めたのは九時を回ってからだった。
「宴会は夜からだからな。じゃあな、大神ぃ。明日の朝、また会おう」
 加山はそれだけ言うと姿を消す。
「さて、俺も...」
 見回りをいつも通り終えると、マリアの部屋の前に立った。
 軽くノックをするとすぐに返事が返ってきた。
「失礼します」
 マリアの部屋に入るという事は大神にとって何だか照れくさい。妙に緊張してしまう。
「紅茶を淹れてきたんだ。どうぞ」
 それを隠すために彼はティーカップに入った琥珀色の液体を差し出した。
「ありがとうございます」
「...さて、何から話そうかな」
 大神は桃の節句について話し始めた。
 中国伝来思想では桃には魔除けの意味があり、この日には桃の花を愛でたり、桃の花を浮かべた酒を飲んだりして楽しみ、桃の葉を入れたお風呂に入って無病息災を祈ったのだった。
 三色の色合いが綺麗な菱餅は、赤い部分にはくちなしが含まれていて解毒作用を、白には血圧降下作用、そして緑のよもぎには造血作用があって古からの健康食品となっている。
 雛祭りがだいたい今のような形になったのは江戸時代頃だ。
「...源氏物語にも雛祭りの描写があったなぁ」
 一通り話した大神はふと思い出して呟いた。
「源氏物語...あの有名な?」
「うん。もともと雛祭りは巳の日払いといって、人形で身体を撫でて穢れを人形に移して、川や海に流すといったものでね。源氏物語の須磨の巻にそういう描写があったはずだよ」
「須磨......」
 大神はマリアの声で漸く気付いた。それはマリアの母親と同じ名前だった事に。
「えっと、その......ごめん」
「気にしないで下さい、隊長」
 マリアがそう言ってくれても、彼は顔を上げる事が出来なかった。大神はマリアを抱き寄せ、肩に顔を埋めた。
「ありがとう......」
 彼女の声が、彼女の声だけが大神の全てを許して包んでくれる。
 大神はしばらくマリアの温もりを感じていたかった。

「いよぉ、大神! 朝はいいなぁ?♪」
 加山が朝窓から現れた時、大神は漸く寝ぼけ眼をこすりながら起き出した所だった。
「ははは、大神はネボスケさんだなぁ」
「はぁ!」
 大神は加山を窓から蹴落とす。
「...親友の俺にこの仕打ちは酷くないか?」
「お前は色んな言葉を知っている割には、親しき仲にも礼儀ありという言葉を知らんらしいからな。身を持って覚えた方がいい」
 加山が再びよじ登ってくる頃には大神も支度を整え終えていた。

 タイムリミットは夕方六時。
「さて、やるか」
 大神は、大量の食材の待つ厨房に、腕まくりをしながら入っていった。

「それでは、紅蘭の誕生日を祝って!」
「乾杯!」
 サロンに設けられた雛飾りの前でコップを合わせる音が響く。
「いやぁ、うまいわぁ。大神はん、おおきにな」
 料理を楽しむみんなの顔に大神の疲れも消えていくような気がする。
「加山君の料理も美味しいわよ」
「おほめいただき光栄です、副指令」
 かえでの隣に座った加山も顔が緩むのを必死に堪えていた。

「この辺までは確かお酒もあんまり無かったような気がするんだけど...」
 次の朝。目を醒ました大神は、ベッドの中で痛む頭を押さえて昨晩のことを思い出していた。
 そうだ、カンナが秘蔵の泡盛を持ち出してきたところからいつものパターンに陥ってしまったはずだ。他にも紅蘭が中国の酒だと杏露酒と書かれた瓶を持ち出し、織姫もイタリアワインをしかたないですねーと言いながら注いで回っていた。
「で、また飲み比べが始まって...本当に機会がある度にやるんだからなぁ...」
 二日酔いの頭の中に三人の笑い声が響いて、大神は考えるのを止めた。
 しばらくぼんやりと青くなっていく空を眺めていると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい?」
 大神が答えるとマリアがそっと入ってきた。
「マリア」
「大丈夫ですか? 隊長」
 そう言って彼女が差し出したのは、お椀だった。大神は痛む頭を堪え、身体を起こした。
「今、皆に配って回ってきたところです」
「ありがとう、マリア」
 豆腐とワカメの味噌汁は胃に染み渡る。
「お礼ならかえでさんに言ってください。先ほど厨房に顔を出したら鍋一杯に作ってらしたので」
「ははは...」
 大神は乾いた笑いを零すしかなかった。どうしてあれだけ飲んでいて平気なんだろう?
「他のみんなは?」
「アイリスとレニ以外は隊長と似たりよったりです」
「.........」
 怒っているような彼女の声に大神は黙って箸を動かす事にした。
「はい。後はこれを飲んでくださいね」
 マリアに差し出された薬を大人しく飲む。
「う...」
「苦くて当たり前です。まったく...あれだけ飲めば二日酔いにもなります」
「マリアの方が飲んでる気がするんだけど...」
「何か?」
「...いえ、何も」
(怒ってる、怒ってるよぉ...)
 大神はいじけて布団の中に潜り込んだ。
「もう...せっかくのお休みなのに、どこにも行けませんね」
 窓を開けたマリアが何気なく言った言葉に大神はマリアの手を取っていた。
「マリア、今日は暇なの?」
「ええ。でも、これでは何処にも出掛けられません」
「じゃあさ、ここにいてよ」
 大神は痛む頭も忘れて笑顔を見せた。
「え?」
「ね? 暇なんでしょ?」
 彼女の手に指に軽くキスしながら大神は言った。その表情はまるで子犬が遊んでと期待に満ちた瞳で見上げてくるようだった。
「......はぁ」
 そんな彼の態度にマリアは、困ったような笑顔でこう答えた。
「しかたありませんね。今日だけですよ」

 春うらら、桃の咲く季節。今日も帝都は穏やかな一日になりそうです。